なぜ日本ではヒゲが認められないか

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イキナリですけど、現代の日本の社会って、一般的に【ヒゲ】認められませんよね。地方公務員では自治体によって、ハッキリと【ヒゲ】禁止。と服務規程に書かれている自治体も有りますし、某都市の市営地下鉄では【ヒゲ】で裁判まで起きていましたよね。まぁハッキリと禁止と書いてない所でも、得意の【忖度】で、【ヒゲ】伸ばすなよ、蓄えるなよって事になっているでしょうけど。

 

 

しかし・・・昔の日本人は【ヒゲ】蓄えてましたよね。

 

 

歴史の教科書見て下さい。偉人は【ヒゲ】蓄えている人が多いですよね。『織田信長』・『豊臣秀吉』 
明治時代に入っても、『大久保利通』・『伊藤博文』・『山縣有朋』キリが無いから、ここらで止めときますけど、世界的にも名高い英雄は、みんな【ヒゲ】を蓄えています。

現代社会では、なぜに【ヒゲ】は認められないのでしょうか?何か理由でもあるのかな?

つて事で、色々調べて仮説をたててみました。興味があったら読み進めてみて下さいね。

なぜ【ヒゲ】は良しとされないか?

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日本でも世界でも、偉人はみんな【ヒゲ】を蓄えているのに、何で現代ではダメなの?ひょっとして・・・何か【都合の悪い理由】が隠されてるのでは!?

そもそも【ヒゲ】とは、『身体機能的には、全く意味が無い』部類の毛であります。平たく言うと、無くても構わないモンです。
しかし、昔の偉人は、みなこぞって【ヒゲ】を蓄えました。有名所では、かの『豊臣秀吉』は、【ヒゲ】が薄いのを気にして、人と会うときは【付けヒゲ】を装着していたとの話があります。現代社会では、無用の長物とされる【ヒゲ】ですが、昔とは正反対ですね。なんでだろ?

偉人の肖像画、写真に見られるように、【ヒゲ】を蓄えている人物は、みな『戦乱期』や『混乱期』に活躍した人物です。いや、モチロン【ヒゲ】を蓄えていない人も活躍してましたよ。けど、ここら辺に何か理由が見えてきませんか?

【ヒゲ】は一般的に、男性の権威の象徴と古来から言われています。すなわち、男性が、みんな【ヒゲ】を蓄えていたら、【ヒゲ】を蓄えている人は、権威があると思われてしまうし、権威があると自分で思ってしまうからです。いや、別に自分に自信を持つことは全くかまいません。むしろ現代社会の日本では、もうちょっと自信があった方が良いんじゃないのと思うくらいです。

 

しかし・・・

 

上層部の人間から観たら、それは邪魔者以外の何ものでもないかもしれません。

例えば・・・あなたが会社の社長だっとして、平社員が【ヒゲ】を蓄え、胸を張って威厳に満ちながら、社内を颯爽と歩いていたら、どう思いますか?

頼もしい社員だな!と思うか

頼もしすぎて、いつか自分の立場を脅かされるのでは・・・と思うか

【ヒゲ】は男性にしか生えないため、権威の象徴の他に、雄々しさ、荒々しさといった事も連想されると思います。この【雄々しさ】【荒々しさ】は、目上の人間にとっては、時に不要な物、むしろ省きたい物になるはずです。

目上の人間からすれば・・・

自分の言う事を素直に疑り無しで聞いてくれる、自分の言った事を従順に守ってくれる人間がイチバン都合が良いですもんね。

事実、徳川氏が豊臣氏を1615年に攻め滅ぼし、約150年続いた戦乱に終止符を打った徳川氏は『江戸幕府』を開きます。戦乱期を終えた武士には、【雄々しさ】【荒々しさ】ではなく、そろばん勘定や管理能力が問われる時代となりました。幕府的には、武士は大人しくさせたいんですよ。謀反なんかされたら折角統一したのに、たまったモンじゃないからですよ。
余り知られてはいませんが、徳川幕府は実際に下記の様な令を発令しています。

茶筅髷禁止令

【茶筅髷】ってのは、室町時代後期から安土桃山時代に流行した髪型の一種で、いわゆる【ちょんまげ】と言われるようなものです。いわゆる戦国時代に兜が被りやすい様に開発された髪型であり、戦国期を象徴するような髪型だったんですね。

江戸幕府は、この【茶筅髷】を禁止すべく、茶筅髷禁止令を発令します。

理由は、先に述べたように、自分たちが統一した天下を転覆されたくないから、髪型等の身近な所から戦乱期の匂いを消し去りたかったのでしょう。平和な世の中になりましたよって言ってるのに、周りの武士たちが戦乱期の髪型をして、雄々しく荒々しいままだったら、幕府はいつ謀反を起されるか心配になっちゃうからではないでしょうか。他にも幕府は刀の長さ等、徹底的な管理体制を引き、江戸幕府を確固たるものします。おかげで江戸幕府は300年近く続く事になり、世界的に見てもかなりの長期政権になりました。
これも全て、徹底的な管理体制を敷いて、今まで戦闘要員だった【武士】を大人しくさせる事に成功したからではないでしょうか。

大髭禁止令

幕府はこんな禁止令も出しています。名付けて【大髭禁止令】

読んで字の如く、【ヒゲ】蓄えたらダメよ令です。これは時の四代将軍『徳川家綱』が1670年に発令したものです。
【大髭】ってのは、ほおや口の上下にヒゲを長く生やすことを指していると言われ、身分に関係なく禁じたのです。しかしながら、『藩医』や『山伏』『神官』『人相見』、還暦を過ぎた隠居した老人はOKだったようで、それ以外の人たちは厳しく禁じられたそうです。特に武家に関しては厳格で、【くちひげ】【あごひげ】は、キレイに剃るのが正装とされました。武家以上に厳格に言われていたのは大名で、この【大髭禁止令】が出て以降の大名で、江戸時代に【ヒゲ】を蓄えた肖像画が残っているのは『徳川斉昭』だけです。※この『徳川斉昭』は徳川最後の将軍の『徳川慶喜』の実父でもあります。

この【大髭禁止令】が発令された時期に、武士は戦闘要員という役目を終え、行政官という役目がメインになったのではないでしょうか。上司の言う事を忠実に聞く行政官には【雄々しさ】【荒々しさ】を持つ必要性はありませんものね。

 

まとめ

江戸時代に【大髭禁止令】によって廃れた【ヒゲ】ですが、明治期にまたしても復活します。戦国期に【雄々しさ】【荒々しさ】の象徴、ザックリ書くと【強さ】の象徴だった【ヒゲ】が、文明開化の象徴として流行したのです。折しも、当時は欧米で【ヒゲ】ブームが起こったようで、欧米に留学した政治家を中心に【ヒゲ】を蓄えるのが流行りました。その後は、文豪や学者、教員等【威厳】を必要とする職業の人たちは、こぞって【ヒゲ】を蓄えました。

この明治時代に流行した【ヒゲ】は、大戦が終戦するまで【強さ】【威厳】の象徴として、軍人を中心に流行し続けました。

この歴史の流れを見てわかる通り、【ヒゲ】は混乱期や戦乱期にはもてはやされますが、それ以外では禁止されたり、良くないものとしてみられる事が多いです。【ヒゲ】を蓄えるといった強烈な自己主張は要らないといった事ですね。
現代社会の日本も平和の塊ですから、【ヒゲ】の様な自己主張は不要かもしれませんが、何か釈然としませんね。
操り人形にしたいから【自己主張をするな】と言われている気がします。

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