居合道の各流派の特徴【新陰流】

公開日:  最終更新日:2018/06/19

あなたも一度は耳にしたことがあるであろう【新陰流】
剣聖『上泉信綱』が編み出した剣術として有名です。

詳しい方は【新陰流】で居合道?と思う方もいるかもしれませんが、全日本居合道連盟に所属されている流派で、居合道の流派として認知されているのは事実です。余りに深く書くと物議を醸すかもしれないので、今回は有名な【新陰流】の剣術としての歴史を紐解いてみましょう。

始祖は?

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かの有名な『上泉信綱』です。彼によって1560年代に編み出された流派ですね。『上泉信綱』は【新陰流】とも【新影流】とも書いています。ここでは表記を【新陰流】と統一させて貰いますね。
始祖の『上泉信綱』は【念流】・【新当流】・【陰流】をはじてとする各流派(特に【陰流】を参考)にして編み出したのが【新陰流】です。
余談ですが、【念流】・【新当流】・【陰流】の3流派は、日本で兵法三大源流と言われ、日本の剣術を遡ると大体この3つの流派のどれかに行き着くと言われています。


『上泉信綱』の【新陰流】は稽古方法も画期的で、当時使用されていた「木刀」では無く、「竹刀」の原型を開発し、それを稽古に使用しました。当時の事は今となっては解りませんが、この「竹刀」によっての稽古方法により、重篤なケガ等(死傷含む)が減ってために、弟子の生存率が格段に上昇(木刀を使用した稽古の場合、失敗したりすると重篤なケガや死亡事故に繋がるから)【新陰流】は、全国により広く普及したのではないでしょうか。

分派は?

『上泉信綱』は【新陰流】を普及させるために、武者修行をしつつ全国行脚しました。そのため弟子は大勢おり、全国に沢山の分派が出来ました。特に有名な弟子は『疋田景兼』・『神後宗治』・『奥山公重』・『丸目長恵』の4人で四天王と言われています。他にも【槍術】で有名な宝蔵院胤栄とも交流があったと言われています。
ここからは『上泉信綱』の弟子たちが開いた分派をみてみましょう。

柳生新陰流

この流派も日本中で有名ですね。ひょっとしたら【新陰流】自体より有名かもしれません。正式に言うと【柳生新陰流】は俗称であり、『上泉信綱』の弟子である『柳生宗厳(石舟斎)』が伝えた流派は、あくまでも【新陰流】です。ややこしいですが『柳生宗厳(石舟斎)』の弟子が起した流派が【柳生新陰流】になります。

疋田陰流

『疋田景兼』の弟子である『山田浮月斎』が起した流派です。また『疋田景兼』が伝えた【新陰流】の俗称でもあります。『疋田景兼』や、直弟子のほとんどは流派名を【新陰流】のまま伝えています。しかしながら、熊本藩では明治時代まで『疋田景兼』の系統の新陰流を【新陰流】と呼び、柳生家系統の新陰流を【柳生流】と呼んでいました。疋田景兼の系統は岡山藩、鳥取藩では【新陰流】、水戸藩では【真陰流】、岩国藩では【愛洲新陰流】、柳川藩では【疋田文五郎流】等を名乗っていました。

タイ捨流

『丸目長恵』が【新陰流】にさらに工夫を重ね開いた流派です。『上泉信綱』が、時の剣豪将軍『足利義輝』の前で演武をした際に『丸目長恵』が打太刀を勤め、1567年に『上泉信綱』の名で印可状を受けています。

神後流

『神後宗治』が開いた流派です。彼は『羽柴秀次』の剣術指南役にもなっていますが、この『神後宗治』という人物は謎が多く、『鈴木意伯』という人物と同一人物、もしくは母方の姓をとって、後年『鈴木意伯』と名乗ったとも言われています。

神陰流

『奥山公重』の系統です。【奥山流】とも呼ばれます。『奥山公重』は【新陰流】を学ぶ前から【一刀流】を立ち上げていたため、【奥山流】は【新陰流】を含めているとは必ずしも言えません。この【神陰流】からも数多くの流派が分派されています。

新影幕屋流

『松田清栄』系統の【新陰流】ですね。【松田派新陰流】、【松田方新陰流】、【幕屋新陰流】とも言います。『松田清栄』の剣技は、彼の孫である『幕屋清信(大休)』によって福井藩に伝えられました。

駒川改心流

『駒川国吉(改心)』が【新陰流】に更に工夫を加えて開いた流派です。富山藩に伝えられました。江戸時代には柔術の流派の一つとして指導されていたのが珍しい点ですね。

新神陰一円流

『野中成常』が開いた流派です。この【新神陰一円流】の二代目の門下である『福井嘉平』が、これまた有名な【神道無念流】を開いています。

 

まとめ

【新陰流】は『無刀取り』の秘伝があるとしても有名ですね。『上泉信綱』は前半生は小領主、武将として、後半生は高名な剣豪としての生涯を送りました。武者修行で全国行脚をしたおかげか、彼の教えた【新陰流】は幅広く広がり、約500年経った現代でも高名を馳せています。もちろん数多くの派生、分派した流派も数多く存在しています。しかしながら、【新陰流】の一番の功績は、竹刀の原型である【袋竹刀】を開発、稽古に使用し普及させた事ではないでしょうか。

この袋竹刀の普及により、重篤なケガが減少し、より剣術の稽古に身が入る様になった剣術者は少なくないはずです。現代における剣術の発展や保存に大いに貢献しています。

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